https://gendai.media/articles/-/83863?page=2
サンデルは、平等な競争に基づくものであっても能力主義は否定しなければならない理由を二つ挙げている。
一つめは、「能力主義は才能の道徳的恣意性を無視している」という点だ。能力主義の理想とは、生まれた家や育った環境などの条件の差を排除して、すべての人が競争の場において自分の才能を活かせることである。しかし、わたしたちは自分がどんな家に生まれてどんな環境で育つかを選ぶことはできないのと同様に、自分がどんな才能を持って生まれてくるかを選ぶこともできない。
受験戦争に勝ち抜いて難関大学に入れるだけの頭脳を持って生まれることやスポーツで活躍してオリンピックに出場できるほどの肉体を持って生まれることは、資産家の家に生まれることや文化資本にあふれた環境で育つことと同じように偶然に左右される恣意的なものである。
生まれる家や育つ環境などの差を排除した完全な能力主義であっても、才能の差を排除することはできない。この問題に対処するために能力主義者たちは「競争で勝てるかどうかは才能だけでなく努力も関わってくる」と主張するが、才能の差は努力では乗り越えられないことが多い、とサンデルは反論する。
引用元: ・ハーバード教授「大学受験は才能ゲーだから差別。しかも虐待だ。入試はくじ引きで決めるべき」
http://blog.livedoor.jp/philosophy_aqua/archives/30432215.html
サンデルは、学歴差別は最後の差別と書いています。
なぜ、人種差別はしてはいけないのに、学歴差別は平然と行われているのでしょうか?
1990年頃から筆者の周りの大学生が、「成功は自分が努力した結果」だという考え方をするようになったと言います。
しかし、受験勉強に専念できる環境にあるのは、努力より運なのではないでしょうか?
(例えばネグレクトや家庭内暴力を受けているような子と、お金持ちで塾や家庭教師をつけてもらえる子の環境の違いは運でしかない)
いいや違う、私は厳しい環境の中、自分の努力若しくは才能で大学に合格したという人もいるでしょう。しかしその『才能』(努力できる才能も含む)も、自分が偶然持っていた特性ではないでしょうか。
機会を平等にしたとしても、偶然受験勉強に有利な才能を持っていない人は、這い上がることができないのです。
サンデルは、
受験をテストにするくらいなら「くじ引き」で合否を決めた方がマシだ、と言っています。
くじ引きなら、高校生達が受験戦争で心を痛めないだけマシである、という事です。
(スタンフォードは実際にくじ引きで合否を決めようとした事があったらしいですが反対にあい頓挫したそうです)
今や「オンライン授業を視聴する権利」だもんな
そんなの開放すればいい
8時間勉強した凡人を1時間勉強した地頭当たりマンが軽く凌駕するのが大学受験
ましてや現代文なんかは才能あるノー勉マン>>>12時間勉強した凡人やしね
また凡人未満はそもそも努力する(大学受験レベルを理解できる)脳みそがない
こんなの明らかに生まれによる出来レース、差別でしかないっていう
本質的に人種差別やカースト制度と何も変わらん
まず地頭いい奴は勉強時間が8時間どころじゃない14時間くらいやってる
高校大学より壮絶やん
親の入れ込み方がやばい
元虐待児の犯罪者予備軍と東大生を共同生活させるか?
東大生が虐待されそうだけどな
カスは精神が貧しいから相応の扱いを受けてるんだよ
大学受験というただの遺伝子出来レースを公平な競争だの努力でなんとかなるだのといった嘘でカモフラージュしていたこれまでがおかしかったんや
実際行動遺伝学で知能は大半が遺伝で決まることが判明してるしね
スレに書いてあるソースを読む能力もないのか
100年後の教科書では大学受験は悪しき差別の歴史として黒人差別やユダヤ人迫害と同じトーンで取り上げられてると思うで
「ではあなたはくじ引きで選ばれた医者にかかりたいですか?」
って聞かれていいえって答えて完全論破されたんやしよな
1日10時間くらい勉強出来る奴にバカはいない